受賞作品展示 作文部門
令和4年度(第59回)受賞作品

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文部科学大臣賞(高学年の部)

私の始まりの物語

愛知県 岡崎市立竜美丘小学校 5年

加藤 美虹

 私の命の始まりがあるとしたら、それはいつだろう。自分の生まれた日?お母さんの腹に宿った瞬間?それとも…?
 平日の夜は私一人ベッドで眠るけど、次の日がお休みの金曜日や土曜日は、お母さんと一緒に眠るのが私の楽しみです。そして布団の中で、私が生まれる前の話を聞くのが大好きです。毎回聞いているのに、いつも新しいエピソードがあります。私の知らない、私にまつわる物語。それがとても神秘的だと思えるからです。
 私のお母さんは、視覚障碍者です。そのため、私が生まれる前に、お父さんと何度も話し合いを重ねてきました。障碍を抱えて育てられるのか。地しんや火事などの災害に対処できるのか。生まれた子が、親の障碍を理由にいじめられたら。成人してからの就職や結婚の影響など。子どもが男の子だった場合・女の子だった場合それぞれの苦労。生まれた子に起きるすべての困難を想定して話し合ったそうです。障碍を抱えた人が、子どもを生んではいけないというルールはありません。お母さんの主治医も、障碍を理由に子どもをあきらめることは悲しいことだと言ってくれました。でも、お母さんの周りには、障碍を理由にいじめられたり、就職や結婚をあきらめたりした人がたくさんいたそうです。本人に障碍がなく、親・兄弟に障碍者がいたとしても、状況は辛いものでした。きれい事だけでは乗り越えられない現実があるのです。考えれば考えるほど、障碍を抱えての出産は難しいように思えてくるのでした。
 そんなとき、一通の葉書が届きました。それは、お父さんの中学時代の同級生が、病気で亡くなったという知らせでした。まだ三十一才という若さで、幼い子どもを残して。悲しい知らせの葉書だったけど、お母さんは不思議と勇気をもらったそうです。きっと子どものために母親は強く生きていける。私も生きがいとなる子どもの存在が自分を強くしてくれると感じました。その想いをお父さんにも打ち明けました。お父さんは、
「きっと子どもがいなくても、二人で幸せにくらしていける。でも、『子どもがいたら、どんな人生だっただろう。』と思う日は何度もやってくる。でも子どもがいたら、いない人生を思い浮かべることは決してないだろうね。」
と言ってくれたそうです。この一言が後押しとなり、この人とならどんな因難も乗り越えられると思い、親になる決意をしたそうです。こんなエピソードを聞いたときは、もっとお父さんにやさしくしようと思うけど、すぐ忘れて、口答えしてしまいます。
 それから一年半後。私はお母さんのお腹に宿りました。この時の喜びは、言葉で表すことができないそうです。家族や友人、誰に報告しても、最高の笑顔で喜んでくれました。最初の数か月は、つわりもひどく、夕方からねこむ日が続きました。温かい食事の匂いにたえられず、お父さんと別々に食事をしたり、真冬なのに、においの少ない冷やし中華を作ったりしたこともあったそうです。それでもお父さんは、文句ひとつ言わなかったそうです。やっぱりお父さんにやさしくしようかな…。
 順調に思えた妊婦生活も、六か月過ぎて様子が変わってきました。お腹の張りがひどくなり、『切迫早産』と診断され、自宅安静となりました。赤ちゃんが無事に育つのか不安になっている状態で起きた災害。三月十一日・東日本大震災でした。愛知から遠くはなれた土地の災害だけど、怖くて震えが止まらなかったそうです。そのニュースは、精神的に大きなダメージを与えました。お父さんも心配して、仕事中に電話をかけてきたほどです。自宅安静中は、おばあちゃんが必死に精神的なケアや身の回りの世話をしてくれました。けれどそのかいもなく、その後すぐ入院となりました。入院生活は、私が生まれるまで続き、一度も外に出られず、約三か月病院で過ごすことになりました。おばあちゃんは、一日も欠かさず病院へ通い、誰よりもそばで見守ってくれました。点滴につながれ、ただひたすら安静にして、ずっとベッドで過ごす日々。そんな入院生活中につけていた日記を見せてもらいました。
たった一〇〇g大きくなったことを大喜びした日。気持ちが不安定になり泣いてしまった日。赤ちゃんのためにかぎ編みをした日。病院食のコロッケを楽しみにした日。同室の人の退院をうらやましく思えた日。点滴を増量されてへこんだ日。注射の上手な看ご師さんにときめいた日。そして、私の名前が決まった日。
 読み進める度に心がほっこりして、一ページ読むのがもったいないとさえ思えました。
 こうして私は、平成二三年六月三日、この世に生まれてくることができました。いろいろな不安を乗り越え、たくさんの人に望まれ、支えられ、見守られ、愛されて私の命はここにあるのだと実感しています。今の医学があったから、私のような切迫早産でも助かったと聞きました。病院の先生方が救ってくれたことは、決して忘れません。そして、たくさんの尊い命が失われた震災の年に生まれたということも、ずっと心に留めて生きていきます。
 日々、テレビやネットで見る虐待のニュース。なぜ親が子どもを傷付けるのか理解できず、胸が苦しくなります。きっとこの子達も、望まれ愛されるべき命なのに。
 何事もなく順調に生まれてきた子も、大変な経験をして生まれてきた子も、この世に生まれずお空へ旅立った子も、みんなたった一つの尊い命です。私と同じように、すべての子に奇跡のエピソードがあるはずです。
 私の命の始まり…それは、両親が出会った時から決まっていたのかもしれません。ここから先は、私も加わった物語。私の物語はまだまだ続きそうです。

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審査員のコメント

 美虹さんは、自分の命の始まりについて、お母さんから話を聞いたことやその当時の日記を読んだこと基に、命のつながりを自分の言葉として描き直します。直接体験できないことだからこそ、そこにはその人のものの見方や感じ方、考え方が反映されます。書き出しとまとめの一文の呼応させた表現、テーマを支えるエピソードの選択と構成など、確かな力によって支えられたからこそ、どの命にも優劣はなく生まれてくる命はみな尊いものであるという願いのはっきり伝わる温かく素晴らしい作品でした。
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受賞者の言葉

 『文部科学大臣賞』に選ばれたと聞き、家族で飛び跳ねるくらい喜びました。それと同時に、感動して涙があふれました。
 毎年三月十一日になると「震災から○年…」と、テレビで流れます。その年数と自分の年令が同じなので、震災の年に生まれた命の重みを感じます。
 お母さんが入院中に書いていた日記には、クスッと笑えるエピソードや、一日に何本も打つ注射にたえたこと、不安で泣いてしまったことなど、書いてありました。原稿用紙六枚では書ききれない出来事ばかりでした。お母さんに「生んでくれてありがとう」と言うと、「生まれてきてくれてありがとう」と返してくれます。その言葉がうれしくて、何度も言ってしまいます。
 私の作文を読んでくれた人が、自分にはどんな物語があるのかな?と、命の始まりについて考えてくれたらうれしいです。