受賞作品展示 作文部門
令和4年度(第59回)受賞作品

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全国都道府県教育長協議会会長賞

なつにさよならを

愛知県 刈谷市立富士松南小学校 6年

戸田 凰介

 なつが死んだ。それは突然の出来事だった。なつというのは、ぼくの家で飼っているにわとりの名前だ。ほかに、はる、あき、ふゆという名前のにわとりもいる。なつは、その三羽にいじめられていた。いや、いじめられていたようだった。三羽がなつをいじめているところを見たわけではないので、しょうこはない。
 はる、なつ、あき、ふゆの四羽は、おととしの十二月にぼくの家にやってきた。お父さんの知り合いの岡崎さんという人がにわとりを飼っていて、産みたての卵を分けてもらったことがきっかけだ。その卵を食べたぼくと弟は、にわとりに興味を持ち、本物のにわとりを見てみたいと思い、お父さんにたのんだ。数日後、岡崎さんの家ににわとりを見に行けることになった。
 岡崎さんの家では、六羽のにわとりを庭で放し飼いにしていた。弟がにわとりたちを見たとたん、
「かわいい。ぼくの家でも飼いたい。」
と言った。お父さんとお母さんもにわとりを飼いたいと思っている様子で、岡崎さんに飼育方法などをいくつか質問していた。
 次の日から、にわとりを飼うための準備が始まった。せっかくだから、ひよこから育ててみようということになり、岡崎さんに教えてもらったふ卵場へ連絡して、ひよこを受け取りに行く日時を決めた。ふ卵場とは、卵をふ化させたり、ひよこを出荷したりする場所のことらしい。品種は、もみじという茶色のにわとりの雌を四羽飼うことにし、寒さに弱いひよこたちのためにペット用のヒーターを新しく買った。
 ふ卵場へひよこたちを受け取りに行く日、ぼくは朝からそわそわして落ち着かなかった。その日は木曜日だったので、ぼくはふ卵場へ行きたいと思いながらもしぶしぶ登校した。小学校にいる間も、ひよこたちのことばかり考えていた。帰りの会が終わると、急いで家へ帰った。玄関のドアを開けると、ピーピーのような聞き慣れない声が聞こえた。リビングに段ボール箱が置いてあり、その中をのぞくと、ヒーターの周りに四羽のひよこたちが集まって、身を寄せ合っていた。
「わあ、かわいい。」
ぼくは思わずため息が出た。その日の朝産まれたばかりだという四羽は、小さくて、ふわふわで、ずっと見ていたいと思うほどの愛しさだった。背中の毛の色が濃い順に、はる、なつ、あき、ふゆと名付けた。なつは四羽の中で一番大きかった。四羽は、いつもヒーターの近くでくっついて眠っていた。えさをあげると、うばい合うようにぱくぱくと食べ、どんどん大きくなった。鳥の成長は早い。生後二ヵ月がたったころには、段ボール箱の中ではせまくてかわいそうなので、お父さんが庭ににわとり小屋を建ててくれた。生後五ヵ月ほどたった四月の終わり、初めて卵を産んだのは、なつだった。これで立派なにわとりだ。ひよこのうちに死んでしまうことも珍しくないのに、寒い冬を元気に過ごし、四羽とも無事ににわとりになることができてよかった。四羽は、一日のほとんどを小屋の中で過ごしていたが、天気の良い日には、運動と気分転換のために小屋の外へ出してやることもあった。外へ出ると、畑の野菜やミミズを食べ、無邪気に庭を走り回っていた。
 夏休みに入った七月のある日、なつの尾羽が少なくなって、おしりの周りの毛が抜けてしまっていることに気づいた。どうしたんだろう、病気になってしまったのかと心配になった。調べてみると、にわとりの習性がいろいろと分かった。にわとりにはにわとりの社会があり、序列によって最下位になったにわとりはいじめられるらしい。助けてあげたいと思った。でも、どうすれば良いのだろう。それに、本当にいじめだろうかというぎ問もあった。三羽がなつをつついたり、羽をむしったりしているのを、見たことがなかったからだ。争っているような鳴き声を聞いたこともなかったので、信じられなかった。その日からぼくは、なつと三羽のことを注意深く観察することにした。ちょうど夏休み中は、にわとりの世話がぼくの仕事になっていた。一日に何度も小屋の中に入って、なつの様子を見るようにした。なつの健康観察を始めてからも、いじめられているかは分からなかった。えさはよく食べるし、小屋のかぎを閉め忘れたときには、四羽そろって仲良く脱走していたこともあった。おしりの毛がないだけで、なつはほかの三羽と変わらないように見えた。ぼくは、なつをそのままにしてしまった。
 八月三十一日の朝、
「コケーッ。コケーッ。」
と異常に大きな鳴き声が聞こえた。あまりにさわがしいので、あわてて小屋を見に行くと、なつのおしりから細長いミミズのようなものが出ていて、なつ以外の三羽が、それをつつきながら追いかけていた。なつのおしりからは血も出ていた。お父さんが、すぐになつ以外の三羽を小屋の外に出して、なつを守った。なつを見たお父さんが、 「腸が全部出てしまっているね。もう、どうすることもできないな。」
と言った。ぼくは、恐る恐る小屋の中をのぞいた。なつは、小屋のすみに立ったまま動かなかった。水をあげても、えさをあげても、寄ってこない。いつもは、ぼくの足を痛いくらいにつついてくるのに、それもない。苦しそうななつに、何もしてあげられない無力さと、いじめに気づいていながら助けてあげられなかった後悔の気持ちがわいてきた。せめて、なつが息を引き取るその時まで、そばで見守っていたいと思った。
 何時間くらいたっただろうか。ついに足ががくっとなって、なつはうずくまってしまった。立っていられないくらいに弱ってしまったのだ。顔を体の中にうずめ、横になって動かない。おなかの辺りが少し動いていることで、なつがまだ生きているのだということが分かって、少し安心することができた。その状態が三十分くらい続いた時、なつが急にあばれ出した。どこにそんな力が残っていたのかと思うほど力強かった。羽をめいっぱい広げ、一生懸命飛び回ったかと思ったら、ぱたっと動かなくなった。羽を広げたまま、あお向けで、なつは死んだ。なつの最期の姿を、ぼくは忘れることができない。なつは何を伝えようとしたのか。助けることができなかったぼくを、うらんでいないだろうか。動かないなつを箱に入れ、花をそえて地域の火葬場へ連れて行った。火葬場のお別れ所という場所で、最後のお別れをした。なつを入れた箱を台の上に置き、その前で手を合わせた。ぼくは、
「なつ、今までありがとう。これからは、空の上からぼくを見守っていてね。」
と、小さな声でつぶやいた。お父さんやお母さん、弟たちも、目をつぶって手を合わせていた。
 なつが死んでしまったことは悲しい。にわとりの習性とはいえ、なつの命があんな形で終わってしまったことは、とても悔しい。なつのいないにわとり小屋はさびしい。今回、この作文を書くことで、なつとの思い出を振り返ることができた。ここには書ききれないほどたくさんの出来事があった。どれも楽しい思い出ばかりだ。なつは死んでしまったけれど、ぼくは絶対に忘れない。なつは、空からぼくを見ているだろうか。ぼくは空をあおいだ。夏の終わりの青空に、にわとりの形の雲が浮かんでいるように見えた。

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