受賞作品展⽰ 作⽂部⾨
令和5年度(第60回)受賞作品

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全国都道府県教育長協議会会長賞

私の相棒

徳島県 徳島文理小学校 5年

赤澤 茜梨

 みんなは、側わん症という病気を知っているだろうか。私は、今年学校であった検査で「要受診」と書かれた紙を持って帰った。それを渡すと、
「えー。」
と言って、おどろいた。母は、すぐに病院の予約を取ってくれた。
 大学病院で、まずレントゲントを撮った。レントゲンは、痛くない検査で、骨の写真を撮る機械だ。レントゲン室の前では、たくさんの人が順番待ちをしていた。「みんな、何かの病気で、病気と戦っている人たちなんだろう」と思った。
 レントゲンを撮ってから、診察室の前の椅子で母と名前を呼ばれるのを待った。私の名前が呼ばれ、診察室に入った。すると、お医者さんがいて、パソコンに私のレントゲン写真で映した。そして、母に、
「ご家族に側わん症の人はいませんか?。」
と聞いた。母は、
「多分いないと思います。」
と答えた。すると、先生が、
「レントゲンからして、側わん症です。角度は十八度ぐらいです。普通の側わん症は、突発的に起こるので、骨のこことかここの所が曲がってくる。」
と先生が説明し始めた。そして、
「茜梨さんの場合、全部が曲がっているので、突発ではない。そして、この場合考えられるのが二つ。せきついしゅようか、生まれつき頭がい骨の下の部分が広くなって、小脳がたれ下がったようになるキアリ奇形といわれる病気です。」
と先生は言った。私は、「しゅよう」はガンだと思った。でも、はっきりとは分からなくて、「キアリって、ヒアリみたいな名前だな」と思った。でも、母は看護師なので、先生の説明を分かっているみたいだった。そして、少し母の顔が暗くなっている気がした。先生は、
「とりあえず、MRIを撮りましょう。そしたら、はっきりします。側わん症は、コルセットできょう正していけば、手術はさけられると思います。」
と言った。母は、
「分かりました。お願いします。」
と答えた。
 診察室と出ると、コルセットの型を取るために待ち合いの椅子で待った。そしたら、母が私に
「先生の言っていること、分かった?。」
と言ったので、
「ちょっとだけ。」
と言うと母は、
「せんちゃんは、側わん症という病気なんだけど、もしかしたら、背中の骨にしゅようがあるかもしれないし、うまれつき頭の骨の下の所の穴が広くて、脳がたれ下がっているかもしれないんだって。」
と、診察室で先生が言っていた事を説明してくれた。母は、私に話しながら、目がうるうるしていたと思う。そして、母は、
「ちゃんと健康な体に生んであげられなくて、ごめんね。」
と言ったので、私は
「そんなことないよ。」
と母に言うと、母は少し泣いて、私をぎゅっとだきしめてくれた。
 コルセットの型取りが終わると、コルセットが出来あがるまで、二~三週間くらいかかると説明された。
 今日は、MRIを撮る日。大学病院は予約がいっぱいだったので、別の病院に撮りに行った。MRI検査は、じ気を使って体の中の写真を撮る検査なので、金属をつけていると危ないらしく、金属探知機で体を調べられた。そして、台の上に横になり、大きな穴のあいているドーム型の中に入った。音がガシャンガシャンやウイーン、ガンガンガンなどの音が耳栓をしていても聞こえてきた。
 仮のコルセットを合わせる日、今日はMRIの検査結果が分かる日だ。前みたいに、名前を呼ばれて、診察室に入った。先生は、またマウスをカチカチして、私のレントゲンの写真を出した。
「コルセットで、ほぼきょう正されてるし、このコルセットで大丈夫そうですね。」と言った。そして、またマウスをカチッとすると、
「これが、この前撮ったMRIです。せきついしゅようはなさそうですが、でも…。」と聞いて、私は「でも?」と思った。そして、
「でも、キアリ奇形があります。画像からして、手術の必要はありません。なので、このまま様子みましょう。側わん症は、キアリ奇形によるもので、間違いないです。」
と先生は言った。母は、しゅようじゃなかったけど、キアリ奇形がショックだったのか、小さい声で
「良かったです。」
と言った。
 診察室を出ると、母は私をぎゅーっとだきしめてくれた。そして、
「しゅようじゃなくて、安心した。でも、キアリ奇形があるってことは、やっぱりお母さんがちゃんと生んであげれなかったせいやね。ごめんね。」
と言った。私は、「お母さんのせいじゃないよ」って言いたかったけれど、それを言うと母がもっと悲しむ気がして言えなかった。だから、
「大丈夫。」
と言った。
 コルセットは、一日十三時間以上っけないといけないと言われた。運動する時は、外してもいいし、寝る時もつけなくていいと説明された。
 六月二十七日。今日、私に相棒ができた。いやでもはなれられない、コルセットという相棒との生活の始まりだ。寝る時はつけなくてもいいと言われたけど、十三時間以上つけれなかった日は、寝る時もつけないといけない。
 私は、相棒ができてから、できなくなったことがある。それは、ランドセルをせおえなくなったことだ。ランドセルをせおおうとしたが、相棒がじゃまをして無理だった。なので、キャリーカートにランドセルをのせて、しばりつけ、コロコロ引っぱりながら発校している。段差のある所は、持ち上げないといけないので大変だ。
 そんな私の事を知らない人たちは、私のことをジロジロ見てくる。私は、それがいやだ。
 私のように側わん症で大変な思いをしている人がたくさんいると思う。そして、私のように、見た目は何もなく健康に見える人でも、実は病気をもっている人が世界中にたくさんいると思う。なので、私は見た目で決めつけないようにしたい。そして、誰にでも普通に話したり、遊んだりしたい。
 私は、今後も私の相棒と頑張ろうと思う。いっか相棒とわかれる日がくると思うけど、その日がくるまでは、仲良く壊さないようにぴったりくっついていようと私は思う。

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