受賞作品展⽰ 作⽂部⾨
令和5年度(第60回)受賞作品

※一部表示ができない漢字表記は標準漢字又はひらがな表記してあります

全国連合小学校長会会長賞

わたしはかわいそうじゃない

愛知県 岡崎市立本宿小学校 6年

嶺石 実花

 わたしは、生まれつき左手がない障がい者です。だから周りの人達が両手を使って簡単に出来る事が、わたしには少し難しくなる事もあります。
 わたしは小学三年生のころから手の事を聞かれると少し嫌な気持ちになるようになりました。ある時、五さいくらいの女の子が、わたしの手をジーと見つめて、
「あの子の手ないよ。」
と小声で言いました。わたしは、きずつきました。そして半そでを着る季節が嫌いです。
 なぜなら、このような事は日常茶飯事だからです。わたしは大人とおなじくらいの身長があるので小さい子の視線のそばにわたしの左手があります。そして小さい子は気付き、指を指してわたしを見ながら嫌いなあの言葉、
「あの子、手がないよ。」
と、言います。ありがたい事に小声で言う子もいます。でも声に出してしまうと、わたしはこの言葉にびん感なので気付きます。そして悲しそうな顔でかわいそうと言いたそうな目でわたしを見つめます。
 このような経験をしてわたしのことをかわいそうだと思う人がたくさんいると感じています。でもそうではないという事をこの作文を読んで考えてみてほしいと思います。
 一つ目は、左手がないだけで良かったという事です。なぜなら、わたしは他人の助けがなくても学校に通う事が出来るからです。わたしに手がないと聞くと特別支援学校に行かなくてはならないと思う人もいると思いますが、特別支援学校は学習上または生活上の困難をこく服し、自立が図られる事を目的とした学校だという事なので、わたしには必要な学校ではありません。
 わたしの障がいは人が一人一人得意、不得意があるのと同じだからです。わたしの手は見た目が健常者と少し違うけれど、得意不得意てい度だとわたしは思っています。わたしの従妹は両手がありますが、靴ひもをむすべません。わたしは時間がかかりますが、結べます。かわいそうではありません。
 二つ目は、わたしの周りには手伝ってくれる同級生が多いという事です。
 例えば、給食当番の時に重たい物を運ぶ事はほぼありません。助けを求める前に同級生は気付いて手伝ってくれます。ある意味で重たい物を持てなくてすむので得した気分です。他にもおかずやお米をよそう時もみんなわたしの手の事をもちろん知っているので、こぼれないように食器を近づけてくれるので助かります。もし落としたとしても、わたしを責めたりはしません。こういう場合健常者同士なら口げんかになると思います。わたしはこの点でも責められる事はないので、ある意味でラッキーです。同級生や友人に恵まれているので、かわいそうではないです。
 三つ目は自分で工夫すれば、たいていの事は出来るという所です。
 例えば、国語だと両手がなくてもわたしには左手用の電動義手があります。ページをめくるのは健常者の祖母が手がかんそうした時のように難しいですが、教科書を両手で持って読む事ができます。
 次は、体育の鉄棒。前回りは出来ますが、逆上がりは無理です。わたしの姉は両手がありますが、鉄棒は不得意なので出来ません。次に縄とびです。これは動かない義手があるので、前とびならできます。縄とびは手首の回転が必要で、右手のみ回転させるので、後ろは研究中です。水泳もスイミングクラブに通っていたので、クロールの息つぎの時は左のみですが、二五メートル泳げます。平泳ぎも下手ですが二五メートル泳げます。
 次は、音楽です。片手で両手全ての音階を弾くリコーダーをわたしは持っています。ピアノを小学一年生から習っているので、指を細かく動かす動作には慣れていましたが、最初は難しくてピアノは簡単に感じました。でも今では両手がある父よりも上手に吹ける自信があります。
 このように工夫をしたり、練習をしたりすれば、たいていの事は不得意ていどに出来るようになります。かわいそうではないですが、練習はたくさんしないといけなくて努力が必要なので正直大変です。
 本当に色々大変な事が多いけれど、わたし以外にも同じ経験や思いをしている人はたくさんいると思います。
 他人と見た目が少し違っていてもかわいそうではないのです。
 人はすぐに見ためで判断して障がい者と健常者にわけたがると思いますが、障がい者も健常者もかわらずにがんばって生きています。
 「義手、かわいそうだけど、気持ち悪い。」
と言われた事があります。でもわたしの場合、先に書いた通り、義手を使わないと出来ない事が多いので、言葉の選び方を考えてほしいです。わたしからすると、あなたの感じ方ががわいそうです。
 わたしは何で自分には手がないのか、考えて悲しくなった時もあります。わたしの家族もきっと悩んだり、わたしの事をかわいそうだと思ったりした時もあったと思います。
 たしかに健常者の人からしたら、わたし達障がい者はかわいそうかもしれません。
 でもかわいそうという言葉は優しさの言葉ではなくわたし達をキズ付けている場合もあるという事に気付いてほしいです。
 もしわたし達、障がい者を見かけて何か言う時は、
「サポートが必要な人。かわいそうなんじゃないよ。」
と周りの人に伝えてほしいです。
 わたし達障がい者はかわいそうではありません。健常者と一緒で、毎日、友達と楽しく過ごしています。

全文を見る