受賞作品展示 作文部門
令和4年度(第59回)受賞作品

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全国都道府県教育長協議会会長賞

マサキがぼくに教えてくれた事

愛知県 岡崎市立小豆坂小学校 3年

増永 奨

 ぼくは、二年生のおわりにあるちょうせんをした。えんぎのオーディションをうけてしまった。今まで、しゃしんや動画のせんこうでざっしやプロモーションビデオに出たことがあった。今回もそのつもりだった。だけど、オーディションの台本が送られてきて、目が点になった。セリフがいくつかあった。今までセリフなんて言ったことがない。
 ぼくがうけるのは兄役で、妹とあそんだり、家族でごはんを食べたり、大人になった自分とふしぎな出会いをしたりする。ぼくには妹がいないので、お兄ちゃんってどんな感じだろう、とそうぞうしてみた。きっと妹よりうん動ができて、ごはんもたくさん食べるんだろう。考えてみるとワクワクした。兄役はぼくがやりたい。はじめてだけど、ちょうせんしたいと思った。
 オーディションは八日後だ。学校から帰るとセリフのれん習をした。兄役のマサキは元気な子で、ぼくにそっくりだ。でも、大きな声でお父さんをよぶシーンはちょっとはずかしい。なので全力を出さずに心の中でれん習した。れん習をするたびにマサキはぼくがやるんだという気持ちが強くなった。元気なマサキになれるように早くねて、ごはんをたくさん食べた。朝おきてすぐでも、学校のうん動場にいてもセリフが口から出てくる。台本を見なくても、全員の全部のセリフをおぼえてしまっていた。すっかりマサキになりきっていて、毎日楽しかった。
 オーディションの日、「いやだな」と少し暗い気持ちになった。れん習がおわってしまう。ぼくのじゅん番がきてほしくないと思った。となりにいたお母さんが、
「えらばれたらまたれん習できるよ。でも、はじめてだからうからなくてもいいんだよ。」
と言った。いや、ぼくはうかりたいんだ、と少しむっとした。
 いよいよぼくの番がやってきた。しんさいんのお兄さんは三人で、ニコニコしてすわっていた。れん習した通りに自こしようかいをした後、セリフを言ってくださいと言われた。心の中でれん習していたお父さんをよぶシーンは、思ったい上に大きな声が出て、自分でもびっくりした。少しきまずくてニヤニヤしてしまった。しんさいんのお兄さんたちは、
「上手だね。」
と言ってくれて、さいしょよりももっとニコニコしていた。ほくのはじめてのオーディションは、ニコニコとニヤニヤでおわった。
 何日かたって、お母さんの
「えーーーーー!」
という大きなさけび声がきこえた。メールに
『兄役 増永 奨』
と書いてあった。全力を出しきってまんぞくしたのか、正直マサキの事はわすれていた。マサキを思い出したしゅんかん、とびはねた。
 さつえいの日には三年生になっていた。三十人い上の大人がカメラやセットのよういをしてくれた。れん習よりも、オーディションよりも、今日が一番はりきりる時だ、とねこぜをのばして、小さな目を大きくひらいた。
「カット!オーケーです。」
と言われると、うれしくてウシの方へ思いきり走る。ウシはかんとくで、オーディションにいたお兄さんだ。ようふくが白と黒で、耳にわっかをつけているからぼくがあだ名をつけた。マサキ役は本当に楽しかった。
 わかれの時は全員ではく手をして、ウシやみんなとあく手した。帰りの新かん線ではさみしくなってしまったけど、またオーディションをがんばればみんなに会えるかもしれないと気がついたら元気が出た。
 ぼくはあれからずっとウシにかんしゃしている。だって、えらんでもらう事は本当にきせきだ。マサキの後に、えらばれなかった事もたくさんある。その時はなみだが出るし、くやしくて作品をみる事ができない。
「ぼくがやっていたかもしれないのに。」
という気持ちがどうしてもきえない。
 夏休みの間にマサキがかんせいしたので、家族みんなで見た。一番多く画面にうつっていて、またとびはねるくらいうれしかった。おじいちゃんは泣いていた。ぼくはくり返し何回も何回も見た。
 あの日マサキ役のオーディションをうけた子たちはこれを見たのかな、と気になった。もしマサキを見て「次は自分がえらばれるようにがんばろう」と思う子がいたら、ぼくはうかれていられない。
 えらばれた時は、みんなに見られてもはずかしくないようにせいいっぱいやろう。えらばれなかった時は、決まった子をおうえんして、次は自分ががんばろう、と思える自分になりたい。まだまだむずかしいけど、少しずつそうなっていきたい。マサキがぼくに大切な事をおしえてくれた。

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